【近藤さんのコラム】キャリアコラム全5回シリーズ ~第2回『謝る』~
謝ることに対する気持ち
業務上で、自分自身が誤っていたら、言い訳するより先に謝ります。
私は、謝れない人は信用していません。なにかしら自分が関わったことについて不具合が起きるということは想定内だと思っています。完璧ということはすべてが終了してから、結果的に言えることで、事業の中途で確信することではないと考えています。
決して失敗するつもりではありません。漏れのないよう、何度も何度も確認をして進めています。しかしながら、人間ですから、また、業務は自分ひとりでするものではありませんから、常に不具合が起こることは想定内であり、いつでも謝ることができる心持があります。
謝りすぎることの怖さ
謝るということを想定内に業務をしていますが、私はリーダーであるがゆえに、自身が関わる業務に関して、あらゆる方面に頭を下げて、謝ることが多いです。
今年度の前半は、どれだけ謝っただろうと、いま、振り返って思います。あちらこちらに過剰なほど謝ったかもしれません。あまりにも「申し訳ない」と、とても悲しくなさけないような気持ちを強く持ってしまいました。そこから生まれるストレスは半端なく、8月は、それらのストレスを吹き飛ばしたいため、したいこと、楽しいことに夢中になり、遊び過ぎました。その結果、9月の初めに、突然の目眩からぶっ倒れ、周囲に大きな迷惑をかけてしまいました。
謝ることは次への発想転換
私は謝ることに対して何の苦もありません。そう思っていました。しかし、自分自身の役職や責任から、そのように思いこませていたのかもしれません。JCDA※的に言うなら、借り物の自己概念でしょうか。しかし、結局は我慢をしていたのでしょう。心がストレスを受けすぎていたにも関わらず、自分自身がそれに気づけず、年齢を無視して暑い暑い夏に、西へ東へとやりたいことをして発散し、とうとうぶっ倒れるという、なんとも反省しかない状況になりました。
空虚となった自分自身を、どのように元通りにするのか、また、どのように心を取り戻すのかと、しばらくぼんやりしていました。しばらくは、1か月ほど要しました。これはキャリアだけではなく、精神かもしれないと考えました。
私の周囲は、わんさかキャリアカウンセラーがいます。聞いてもらえるキャリアカウンセラーはわんさかいるけれども、どうしても私自身を今日まで知らないカウンセラーに巡り会いたく思いました。それは、私が弱音を吐き、仕事に対して意欲が欠け、不安を抱えているということを、どれだけ守秘義務があろうとも、話したくなかったからです。
おかげさまで、私をまったく知らないキャリアカウンセラーと巡り会い、面談し、数々のキーワードに気づきを得て、あっ!そうか、それが私に合っているかもしれないという思いに至れました。
謝るということは、悲しいことではなく、次をどう展開するかの発想転換の機会と捉えることでもあるということ、今回の一連のできごとに関する気づきと学びでした。
特定非営利活動法人 日本キャリア開発協会(JCDA)
近藤 佳保里
TOKYO Women’s キャリア・サポーターとは
都内の企業で管理職として働くメンバーが参加し、女性ならではの視点や、発想を活かした取り組みやマネジメント、悩みや不安をどう解消しているか等、管理職としての日常を発信していきます。是非キャリア・サポーターの日常をのぞいて、あなた自身のキャリア形成のヒントにしてみてください。